2回目の妊娠
3度目の妊娠をしている今、2度目の妊娠のことを振り返るんだけど、びっくりするほどいろんなことを覚えていない。
たぶん、2度目の「その後」のことが鮮烈だからだと思う。
開業から2年近くがたって、「子のない人生でも楽しいのかもな、でも来てくれたらうれしい」ぐらいの気持ちで、穏やかにほどほどに仕事をしていた。
走り続けてきたのをペースダウンして、2年間じゅうぶんに休んで遊んだし、そろそろ仕事のこと本気で考えないとなあ…
と思いながら別に考えない、そういう適当な期間だった。
前の妊娠から2年半たっていて、あきらめるというか納得するというか、もう、しょうがないのかな…と思っているところもあった。
自分もなかなか忙しくなってきていて、彼も忙しいし、でも関係は落ち着いていて、もうこれでいいのかな、とも思っていた、ように思う。
そんな時に、検査薬に陽性。
たまたま少し遠くへでかけることがあって、出かけた先で美味しいものを食べながら、彼がしみじみと「よかったなあ。長生きしななあ」と言ったことを覚えている。
でも二人して、前のことがあるからすぐには喜べないでいた。
あまり先のことも話さないでいた。
もしかして何かあったらつらくなるから。
7週目に検診に行って心拍が見えて、母子手帳をもらった。
1回目のときにさんざんネットで検索して、「心拍が見えたらひと安心」という知識があったのに、なんだか結局あんまり安心はできなかった。
いつもいつも心配していた。
でもその時に先生に「出生前診断は考えていますか?」と尋ねられて、彼とそのことをしっかりと話して、「どんな子でも待とう、調べない」という答えを出した。
どきどきと動いているその人の心臓を見て、これをどうにかすることは私にはできないな、と思ったから。
この時、何がどうあっても私たちはこのまま進もう、という覚悟ができた。
母子手帳をもらったけど、まだまだ心配していて、でもその心配を振り払うために、母子手帳ケース、気に入ったものを買った。
ほぼ日手帳カズンのジッパーケースで、けっこうお値段がしたのだけど、お金をかけて、不安を振り払いたかった。
4月の後半に風邪をひいて、つわりと風邪でしんどかったのが、ある日妙に体が軽くて、なんかおかしいな、と思ったら、翌週の検診で「稽留流産」と診断された。
悲しいことに「勝手知ったる」で、すぐに手術を受けることに決めた。
この日いちばんつらかったことは、不思議なことだけど、母子手帳からちぎって何度も名前を書いた「初期検診の無料チケット」を、病院の帰りの受付で
「これはもう使えませんのでお返しします」
と全部まとめて返されたことだった。
初期検診じゃなくて、「手術前の診察」になったから。
返されても使えないんだから、処分してくれたっていいのにね!
もともと検診の翌日から、4連休を取って長野旅行を企画していて、それがそのまま手術と療養になったのは何の偶然だったのかな、と今でも不思議に思う。
日帰り入院で朝から病室にいて、でもその時からすでに、
「そうか、私まだ妊娠できるんだな。
でももう、あんまり時間がないな。
手術が終わったら、毎日ちゃんと食べてしっかり寝て、とにかく元気にならないと!またすぐ妊娠するために!」
という気持ちが強くあった。
もちろん悲しくて泣いて泣いて、泣いたけど、もうその悲しさは忘れようとしなくてもいい、どうせずっと忘れられない、ということを知っていたから、泣いたまま前に進もう、と思った。
そして前の時よりも確実にからだが健康で強かったから、気持ちもそれについてきてくれた。