1回目と2回目のあいだ
1回目の妊娠のあと、横浜での仕事をやめて京都に引っ越して、全く新しい生活を始めた。
やめることは決めていたけど、まさかすぐに鍼灸院を始めるとは全く考えていなかった。少しのあいだモスバーガーかなんかでバイトして(モスなら年増も雇ってもらえそうだから)、のんびりしてからかなーなんて思っていたから。
ほとんど連休のないサッカー部の仕事で、急にやってきた、手術後の1週間の休み(監督が休めと言って下さった)。
その時になんとなく行った、実家からいちばん近い不動産屋さんで、今の店の物件と出会って、その時は開業するつもりは全くなかったのに、開業がなんとなく決まった。
家賃が高すぎて店としてじゃないと借りる意味が見出せなかったから。
流産なんか、しないならしないにこしたことはないけど、
そしていろんなことに意味を見出しすぎるのは好きじゃないけど、
でも結局、最初の流産があって、私は開業を決めたし、仕事の種類を全く変えることに迷いがなくなった。
というか正確には、妊娠したときに
「子ができたらスポーツの現場は無理だ、
開業して鍼灸師になる、というなんとなく思っていた転換点は今なんだな」
と心が決まっていたから、開業しよう、と思えたということ。
それでもあんまり何にも考えてなかった。
ただここまで走り続けてきた疲れが出てきて、店もひまだったし毎日9時間ぐらい寝て、昼間は予約のあいまにスイス(近所の喫茶店)に行っておしゃべりして、好きなことだけやって特に営業努力もせず、ひたすらのんびりしていた。
旅行にも行き、五郎丸くんを見に浜松に行ったり、平成中村座に行ったり。
子どもをつくる、ということについては、私に時間ができたからもう少し積極的にやれるかな?と思ったら、時期を同じくして彼がものすごく忙しくなっていて、なんだかあまりうまくタイミングも合わない。
ちょっと、いやけっこう、焦ってはいたし悲しい気持ちにはなった。
自分の年齢を考えれば、「もう間に合わないんだな」と思ったから。
そんな中でいつだったか、実家で「スター・ウォーズ」のDVDを見ているときに甥っ子その1その3がやってきて、5歳の甥っ子その1が「あそぼう!」と言ってきたので、
「おばちゃんスター・ウォーズ見ながら編み物したいねん、終わってからやったらあそびたい」
と言ったら、
「うん、じゃあそうしよ」
という「交渉が成立」したことがあった。
なんか急にそのとき、甥っ子たち、これまで赤ちゃんやったり小さな子どもやったりして、「かわいいなあ」とただただ思ってたけど、そうか、これからこうやって会話をして、話が通じて、もっとたつとオトナになってきて、それってめっちゃ面白いな、とすごく思えた。その日のことをすごく覚えている。
それから、妹その1のところに甥っ子その5が生まれて、これまでの4人の甥っ子のときと違って、私が近くに住んでいて少しは時間に余裕があったから、生まれたところからしょっちゅう会うことができた。
なんか、地蔵というか菩薩というか、そんな雰囲気があるにこにこした赤ちゃんで、なんか、よかったなあ、会えて、という感じが心の底からした。
そんな、甥っ子たちとの出会いと成長を経て、素直に、
「そうか、今世は甥っ子をかわいがって生きればいいな」
と思えた。
その頃には店もきちんと家賃が払えて、余暇時間もちゃんと持って、毎日楽しく過ごせるようになって、
「子がない分自由になる、という時間もきっとあるし、楽しい仕事はあるし、甥っ子はかわいいし、私いま、何も足りない、ということはないな」
という「充たされている」という気持ちになった。
いつも自分を人と比べて、私にはあれが、これが足りない、だから、せめてそれを埋めるために子が欲しい、と思っていたところがあって、だから妊娠しないことが辛く悲しいことだったけど、そういう気持ちが少しずつ、いつの間にか埋まって、なくなっていた。
その上で、
「これでもし、子が産めたら、よりうれしいなあ。ここから先は贅沢だな!」
という「欲」みたいなものを、前向きに持つようになった。
足りない何かの代わりに、ではなくて、充分に満たされている上での、「欲」。
そういう形で何かを求める、望むことは今までの自分になかったことだから、それだけでずいぶんと幸せなことで、ときおりそのことを見つめては、よかったなあ、という気分になった。