1回目の妊娠
はじめての妊娠は37歳になってすぐの時、横浜の高校サッカー部でアスレティックトレーナーとして働いて3年目の夏。
34歳で横浜の高校からオファーをもらって個人事業主になって、アスレティックトレーナーとしてだけで生計を立てられるようになって3年目だった。
毎日朝練と午後の練習に行って、合間に専門学校で非常勤講師をやって、鍼灸院に研修に行って。
ひょっとしたらこれまでの人生でいちばん仕事していたかもしれない。量・質ともに。
それも、自分が中学生くらいからぼんやりとした憧れを持ちはじめて、おとなになってからははっきりとやりたい!と思って、自分のほとんど全部をつっこんできた仕事。
毎日たくさんの高校生たち、専門学校生たちに会って、キラキラしたエネルギーに触れて、それを手助けできる。
最高に楽しかったなあ。
でも、その生活を2年やってみて、
「残念だけど、これを一生続けるのは無理だな」
という納得もいっていた。
主には体力的な面で。
そして、自分の内面で、家族や友人を大切にせずに、仕事として人をサポートすることに全力を傾けるのは「依存」だな、という気づきもあった。(この話は簡単には済ませられないことなんだけど)
そんな中でつきあってきてくれた彼と、子どもを作ろう、という話をした。
自分の年齢のことももちろん気にかかっていたし、全力をつぎこんできた仕事の「次」は家族、子どもなんじゃないか、という気持ちもあったと思う。
…なんかもう忘れてしまっているけど、今思うとそれはそれで新しい依存で、あんまりよろしい感じではないけどなあ。
3年目、自分と同じタイミングで入学した選手たちが卒業するときに辞めよう、と考えていて、妊娠がわかったのは夏、合宿中だった。
合宿がはじまって数日、生理が遅れて、「これはもしかして」と思ったとき、初めに頭をよぎったのは、
「え〜、今かあ」
だった。
子どもが欲しい、と思っていたけど、なんにも、ほんとになんにも先のことを考えてなくて、その時の生活が勢いよく、すごい密度で進んでいてそれに乗せられていたから、それを変えるのがすごく大変なことのように思えた。
だいたい合宿中なんか、合宿だけで大変で帰ってからのことなんか考えられないわけだし!
今から思えば「今かあ」なんて、全力で喜ばないなんてオマエはアホか!とぶん殴ってやりたいような気持ちにもなる。
でも、そんなふうに素直に、何の心配もなくすぐ産めると思えているあの時の自分がうらやましくもある。
そのまま「そうかー今かー」とやや呆然としつつも合宿が終わって、数日の夏休みが終わって、お盆明けに横浜で通院を始めて、でも全く何も変わらないで「夏休みのサッカー部」の日常が続いた。
横浜フェスティバルで朝から晩まで動いて、県リーグのベルマーレユース戦があって(監督にだけ報告していたので、けが人対応で走り回っていたのをすごく心配してもらった)。
でも数週が過ぎて、毎週検査に行くのだけれど、なかなか心拍が見えない。
だから先生も母子手帳もらってきて、と言わなくて、毎回自費で「検査」だった。
ネットの情報を見ては「なんか、うまくいってないのかもしれない」という気持ちが募って、家に帰るとずっと不安な気持ちでいた。
その時手にとったよしもとばななさんの「さきちゃんたちの夜」に、初期で流産する人の話が出てきて、それを読んだときすごく気持ちが暗くなったことを覚えている。
9週目に、「稽留流産」の診断になって、翌日日帰り手術。
突然決まって、監督にLINEで「手術になったのでお休みを下さい、子どもたちには小さな手術とでも言っておいて下さい」と連絡して、そのままお休みに入った。
彼は関西にいたし、私の日常はものすごい勢いで横浜で進んでいたから、全部ひとりで動いて、ひとりで終わってしまったような気持ちに少しなった。
彼もただ遠くで祈るだけで、もどかしい気持ちがあったと思う。
月並みな、よくある表現だけど、ほんとに、
「なんで私?」
という気持ちになったなあ。自分のからだに自信があっただけに。
自信なんて、子が生まれてくるのにそんなこと、あるはずないのにね!