夢をみた
久しぶりに、ほぼ朝までぐっすり眠った。目を覚ましたら5:40、部屋が明るかった。
とはいえ夜中に2度ほど目を覚ましたけど。
充分に眠ったからか、起きる直前に夢を見ていた。
なんかの集団(学校とか)に私は属していて、そこの行事で走って山を越えるというのに参加しているのだけど、そして夢なのでそれが数回繰り返し行われているのだけど、何度やっても私はそこで集団からはぐれてしまって道に迷う。
道なき道をひとり走っているので、ぼろぼろになって行程の途中で正規のルートに合流しては、指導者のような人に
「はぐれないようにすればもっと楽に上がれるのに」
と言われる。
でもその時私は、
「そうかもしれないけど、そしたら自分でやったことじゃなくなってしまうなあ、どうにか、自分で道を覚えて、自力で進みたい。くたびれるけどなあ」
と思う。
ぼろぼろで、何かに引っかけたのかあちこちすり傷かき傷して、すごく不安になるし順位も高くないのに。
なんかこう、出産とそれから即始まる育児について、自分がどんなふうに思ってるかが全部暗喩的に入っていて、ちょっと笑ってしまった。
やっぱり、いろんなことに不安になってはいるし、わからなくて迷うだろうな、と思う。
それを助けるよ!と言ってくれる人たちはいて、でもそれなのにどこかで「最後は自分だけの問題なんだな」と思っているし、「自分で選んで、自分の力でどうにかしたい」とも思っている。
そういうこと。
山を走る、という、今の現実の自分はできないことが題材だっただけに、すごく久しぶりに、「妊娠している自分」じゃない自分を感じたような感触もあって、それも面白かった。
それを分けて考えることに意味があるのかどうかはわからないけど、とにかく久しぶりに、妊娠していない時の自分に会ったみたいで、なんか、そういう部分あったなあ、と思い出したような。
「妊娠していない自分」には戻れないんだな、ということをふと考えて、何かが失われたような、さみしい感じがすることがここしばらくであったけれど、こうして、夢がきっかけで、みたいなむずかしいタイミングではあるけど、どこかにはその感触は格納されていて、引き出されてくることもあるんだな。
変わってしまう、ということはなくなってしまうということではないんだな。
なんか、そんなことを思った。
それから同時に、でもこの考え方で出産して育児を始めたら、簡単に産後うつとかになるだろうなとも、冷静に考えた。
高齢出産で子は大きめ、で産んで、「自分でやりたい」を通したら、絶対倒れる。
いや、実際、体は倒れてるんだから、気持ちが病む。そのプロセスはやったことあるから、知ってる!
自分の考えや思いは持っていて、それは自分で大事にしてあげながら、人に頼って助けてもらって、そういうところも最大限に使っていこう。
そう思うからこそ、自分でやりたい自分、のことを今ちゃんと思い出すことができて、よかったと思う。
助けられてだけいると、その自分がずっと疲れてしまうから。