ゆにっき

鍼灸院(とか)「ゆまにて」店主ゆにの日記。

不妊治療をしないということ

不妊治療については、はじめからするつもりがなかった。

 

でもそれは「しないぞ」と決めた、というよりは、いろいろの状況的に「できない」ということだっただけ。

 

 

37歳のときに「子を作ろう」と二人で決めて、わりとすぐに妊娠したから、初めはあまり、治療のことを深く考えることもなかった。

1度目のその妊娠はうまくいかなかったけど、「37歳、すぐにできた」ということが自分の自信みたいなものになって(しょうもないけどね!)、不妊治療ができる状況にない、ということもあまりネガティブにはとらえていなかった。

 

でもその後、忙しく仕事をし、彼も仕事が忙しくなり、かといって状況は別に変わらず、いわゆる「タイミングをとる」というのもままならない状況が続いて、妊娠しないまま2年以上がたった。

その間、年齢を考えれば焦りがあった。いらだちも。

そして甥っ子たちや、友達の子たちを見ていても、その焦りやいらだちに「人をうらやむ気持ち」が混ざってきて、しんどい時間もあった。

 

 

けれども、私にはまず「不妊治療は状況的にできない」というのが先に「決定事項」としてあったので、かえってよかったようにも思う。

これが、「するかしないか」「してるけどやめるかどうか」とかの選択をしなければならない、ということだったら、自分の性格的にしんどかっただろうな、と想像できる。

 

特にこれまで、30代中ごろくらいまで、私は「自分の人生は全部自分で考えて決めなければならない」という考え方に100%縛られていたので、そんな選択自分で考えないとならなかったらたぶんはげるか病気になるかしたと思う。

 

でももうここ数年の私は「天の配剤」のようなものを信じるようになっていて、子のことは「天におまかせやな!」という気持ちを持てるようになっていたから、よかった。

そして甥っ子が面白く育ってきてくれていたことも。 

yunikki.hatenablog.com

 

 

これは妹たちに感謝、となると両親に感謝、ってなってくるとご先祖さまありがとう、っていうかなんか、神様とかそういうのありがとう〜!みたいなとにかくめでたい感じになるわけだけど。

 

 

子のことは、30代中ごろからの5年間くらいが、いちばん気持ちがいやなこだわり方をして、しんどい時期だったように思う。

仕事のことも不安定で、その不安定を楽しむこともできないでいたし(今は楽しい)。

自分が幸せか、楽しいかを人の基準と比べていたところも強かった。

 

けど、その時期に「子のことは天にまかせよう!」という「決定事項」があったから、その分仕事や、人の子をかわいがる、ということを楽しんでできたし、40歳が近づくにつれて、その気持が強くなって、地面に足をつけて、オトナとして仕事と生活を頑張って、楽しめる形に整えていけたのがよかった。

 

 

39歳から40歳にかけて、こりゃー、もう、この人生は子なしかな〜、でもまあけっこう楽しいな!甥っ子を無責任にかわいがろう!と本当に思えるようになってから、その後の今のこの妊娠、ただただ、ありがたいことだ。

 

楽しんでいきたい。