ゆにっき

鍼灸院(とか)「ゆまにて」店主ゆにの日記。

夕方のすばらしさを感じること

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晴れた日の夕方というのはそもそもすばらしいものだけれど、今日は格別であったことよ。

(写真は夕方でなくて昼過ぎ、の近所のようすなんだけど)

 

 

今日は施術をして、昼を食べて近所にコーヒー豆を買いに行き、午後に小さな打ち合わせをして、そのあとはずっとパソコンに向かって週末の講師業の準備を私にしては珍しく3時間以上集中してやっていて、その後に一保堂の本店にいり番茶を買いに行った。

 

ホームページで調べた寺町の一保堂の閉店時間は18時で、思い立ったときは17時半をすぎていた。

着替えもせずに、いつも着ているsousouの変なかたちのスカートかズボンかわからないの(もんぺと呼ばれるやつ)を着たままで、紺色のカブで丸太町通を西に向かってずーっと走っているとき、

「なんやこれー、最高やんか」

と急に思った。

 

 

去年までの3年間、夕方といえば毎日グランドに出ていて、360℃全方向に気を配り、大勢の高校生と大勢のスタッフの動きや気持ちやからだのようすを感知して仕事をしていた。

そんな中でも「わー、夕方、ええなあ」という時間はあったけれど(そもそも夕方に外にいる頻度が高いから)、たいていはそんな余裕はなくて、いつも必死だった。

 

連れにも「いつも目ぇ三角にしてる」と言われていたし、実際、グランドのそばに住んで、休みにだって選手から連絡があるかもしれなくて、3年間が長い合宿だったみたい。

 

そのことは私が望んでやっていたことだし、スポーツの現場で働くこと、チームで働くことには、そこにしかない種類の熱さやエネルギーがあって、楽しかった。

 

でも、そのテンションに自分がくたびれてしまったことも事実だった。

もっと長くやれる人もいると思うけど、私には3年が限度だったなと思う。

 

 

潮時、というとネガティブなイメージを持たれやすい言葉だけれど、そもそもは「ちょうどいい時」ということ。

その潮時をよく見て、道すじを変えられたことは本当によかったと思う。

 

なんでそんなことができたんやろ、自分ほんまナイス、と今日、カブで鴨川を渡りながら、鴨川をわたる気持ちいい風を受けながら考えてみたけど、

「がまんしない」

「自分が大事なものを大事にすることに決める」

ぐらいかなと思った。

 

というと、横浜の仕事ががまんみたいになってしまうのだけどそうではなくて、単純に、からだに負担が大きすぎた。

いつも「がんばって」起きて働いていた。からだのいろいろをがまんしていた。

(ほぼ毎日朝練があって冬でも雨でも5時に起きて6時半にグランドにいた)

 

そして、始める前からうすうす気づいてはいたけど、私は1種類のことだけを大量にやり続ける生活は向いてない。単に、好きじゃないし合ってない。

現場は好きだけど、台所も好きだし映画も好きだし施術も好き。

なので、ひとつのこと以外の時間がなさすぎると本当に自分がしなしなになってくる。

 

そのすべてを、「この環境は恵まれているのだから」「やれる人はやれるのだから」と考えて続けていたけど、2度体調を崩して、復活して、

「せやけど自分にはできひん」

ということを、急に納得した。

合う人はきっといて、そういう人のことを考えれば手放すのは申し訳ない気もしたけど、しょうがない、自分のことを大事にするのは自分しかできないからそれが最優先だ。

(そして私が辞めるのと同時に私のポストはなくなってしまった。私が辞めたからではなくて)

 

 

なんか、「できない」ということを認めるのを頑なに拒んでいたけど、受け入れてしまえば反対に、「でもこれはできる」という部分がしっかりしたし、何を大事にするかがとてもくっきりして、すごく気が楽になった。

気が楽だと、かえって動けるものだなと今でも思う。

 

今はひとり親方だし完全自営業だし、不安はないはずはないのだけど、とりあえずがまんしていることはほとんどないし、去年の今ごろ思っていた大事にしたいこと、というのは大事にできてきているように思う。

例えば夕方に「夕方最高やー」と感じることとか。

 

でも何も「決まったこと」はないので、これからも潮とか風とか、読んでいこう。

そのために、センサーで乗り物な「からだ」のことは大事にしよう。